進化バナシ62

こんにちは!そして初めまして!

動物バナシの管理人

理学療法士&

エボルファンクショニスト

ユーイチです。

今回は

ダーウィンが種の起源を

発表する前までにどういう流れが

あったのかについてです。

ここの流れの中には

宗教が深く関わってきます。

今の現代で

さらに日本人の私としては

宗教と学問の折り合いというのは

とても不思議な感覚なんですよね。

それでは早速行ってみましょう (‘◇’)ゞ

1555年に

ピエール・ブロン

著書「鳥の自然史」を

発表しました。

ピエール・ブロン
フランス
1517年ー64年
出典:https://www.britannica.com/biography/Pierre-Belon

この鳥の自然史では

人間の骨格と鳥の骨格を

図版で掲載しました。

鳥の骨格は

頭を上にして吊るされて

拡大されています。

それにより両者の骨格が

より似ていると強調されていました。

ピエール・ブロン著書
鳥の自然史
出典:Wikipedia

またそれだけではなく

いずれの骨にも同じ名前を

つけていました。

これはかなり恣意的に

両者の骨格がいかに似ているかを示す

ものでした。

ただしピエール・ブロンは

この著書において

脊椎動物の歴史と

その類縁関係については

結論を出していません

その当時は動物の分類に

明確な解剖学的基準は

なかったんです。

ではどうやって

分類していたかというと、

状況によって

生活環境、生活様式、動物の形態

に基づいて分類さえていました。

その為、ブロンは

コウモリを空飛ぶ動物として

鳥の仲間に入れていたんです

この当時は

まだ論理モデルがなかったので

解剖学的構造が類似していても

類縁関係だとは見られなかったんです。

1753年、ビュフォンは

人間の骨格と馬の骨格を

比較しました。

ビュフォンは

類似の度合いが大きければ

同じ家族(科)に分類出来る事を

示しました。

ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン
フランスの博物学者
1707年ー88年
出典:Wikipedia

彼の分類は

詳細な動物の観察に

基づいていました。

家族という言葉を

ビュフォンが使ったのは

分類上類縁関係にある事を

強く示唆していたからです

ですが面白い事に

彼は自身の著書で

自分の意見を覆したんです。

その時の論拠として

第一に挙げたのが

聖書の権威でした。

これは自分の著書が

カトリック教会から

非難を受けるのを

避けようとしたためです。

実のところ、この問題は

動物学の観点を超えて

直接宗教に関わるものだったんです。

2つの異なる種が類縁関係にある

という事は、

両者が祖先の種を同じくしている

を意味しているからです。

これの何が問題なのかと

現代のしかも日本人の我々には

少し理解が難しいかもしれません。

キリスト教では

あらゆる動物の種は

神が同時に想像したと

創世記に記述されています。

つまりビュフォンの言説は

この記述に疑問を

投げかけてしまう事になるんです。

キリスト教徒にとって

異なる種が類似しているのは

神が計画してそのように

創造したからに他ならないんです。

種の
起源

19世紀の初頭には博物学者たちは

地上から姿を消した動物の化石を

多数発見しました。

この化石が発見されたことにより

古生物学という学問が

誕生していきます。

これに大きく関わった

科学者の一人に

キュヴィエがいます。

ジョルジュ・キュヴィエ
フランス
1769年ー1832年
出典:Wikipedia

キュヴィエは比較解剖学という

新しい学問の創始者に

なりました。

キュヴィエは

より良い方法で動物を分類し

自然の構造を理解しようとしました。

ところが、これまた面白いのですが

キュヴィエは進化の考えには

否定的だったのです

ではキュヴィエは

化石については

どう考えていたのでしょう?

それについて彼は

動物は何度も繰り返し創造され

地球規模の天変地異によって

動物はその度に一掃されたと

考えていました。

化石はその時に

出来たものだと考えていました。

そして最後に起きた天変地異こそ

聖書に出てくるノアの洪水に

違いないと結論付けたのでした。

その為、キュヴィエは

比較解剖学を作りましたが

種の類似と類縁関係の可能性を

結び付ける事はしませんでした

では化石こそが現生種の祖先である

と最初に考えてた人達は誰でしょう?

それはラマルク

ジョフロア・サンティレールのような

自然史博物館に所属する博物学者達です。

ジャン=バティスト・ラマルク
フランス
1744年ー1829年
出典:Wikipedia

エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール
フランス
1772年ー1844年
出典:Wikipedia

実は進化論を唱えたのは

ダーウィンが最初ではありません。

このラマルクこそが

最初に進化論を提唱した人

なのです

そしてジョフロアも

ラマルクの考えを支持していました。

ただしジョフロワ自身は

ラマルクとは別の形の進化は起きる

と考えていました

ちなみにダーウィンは

一時期ジョフロワの学生でした。

そしてこれらの流れがあり

1859年に

イギリスの博物学者ダーウィンが

種の起源を発表しました

チャールズ・ダーウィン
イギリス
1809年ー1882年
出典:Wikipedia

先程も言った通り

ダーウィンは進化論を

提案した最初の人物では

ありません。

ダーウィンは

動植物の膨大な観察を行い

ラマルクたちの研究に

理論的枠組みを与えたんです。

更にダーウィンが進化の考えに

大きなインパクトを与えたのは

自然淘汰というメカニズム

提唱したからなんです。

ダーウィンが

とりわけ主張したのは、

1、生物の分類は進化の

忠実な反映でなければならない

2、動物のグループ分けは共通の祖先

から受け継いだ類似点に基づいて

行わなければならない

この二つだったわけです。

どうでしたか?

ダーウィンが種の起源を

発表するまでにこのような

流れがあったんです。

でもこれでもかなり

ざっくりした説明なので

いずれ細かく話せればと

思っています (*’▽’)

それでは今回はここまで。

最後までお読みいただき

ありがとうございました (*’▽’)

カテゴリー: 進化論

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