神の使いとしてのニホンザル伝説
ニホンザル 伝説という言葉から、多くの人は霊的な存在や不思議な昔話を思い浮かべるかもしれません。実際、ニホンザルは古来より日本各地の伝承に登場し、神の使いとして、または妖怪のような存在として語られてきました。本記事では、そんな猿たちにまつわる多様な伝説を紹介していきます。
白峰村の猿神信仰と儀式
日本固有の霊長類であるニホンザル(雪猿)は、神話にも昔話にも深く根ざしています。そのため、シャーマン的な存在として神話や伝承に登場することがあります。
例えば、石川県白山麓の白峰村では、山の神の使いとして「猿神(さるがみ)」が祀られてきました。村の入り口にはかつて猿神を祀る小祠があり、狩猟や山仕事の安全を祈る儀式が毎年春に行われていました。

山の精霊としての役割
猿の毛皮を奉納する風習や、猿の姿を見かけた年は豊作になるという信仰も残されています。このような伝承は、ニホンザルが山の精霊や神域の境界を守る存在とみなされていたことを示しています。
つまり、自然と共に暮らす人々の畏敬の念が、猿に宿る神聖さとして表れているのです。
庶民信仰に見られるニホンザル伝説
庚申信仰と三猿の教訓
一方で、仏教や道教が結びつく民間信仰「庚申信仰」では、サルが三尸(さんし)を天に報告させないよう見張る存在とされていました。そのため、夜通し眠らない儀式の象徴にもなっています。
また、日光東照宮の三猿像に代表される「見ざる・聞かざる・言わざる」の教訓も、こうした信仰と深く結びついています。この教えは、子どもの教育や社会規範としても長きにわたり機能してきました。
三猿の現代的解釈と社会意識の変化
興味深いことに、「三猿」の教訓は、時代とともにその解釈を変化させています。たとえば、江戸時代には「他人の悪を見聞きせず、言いふらさないこと」が道徳教育の一環として強調されました。
しかし、現代の社会では少し異なった見方がされます。SNSや情報社会の中で「見ない・聞かない・言わない」は、自己防衛や無関心の象徴として、時に否定的にも捉えられているのです。
つまり、三猿はその時代ごとの社会意識を映し出す鏡のような存在であると考えられます。
守護と厄除けにまつわるニホンザル伝説
馬小屋の守護神としての猿
さらに、猿は安産・疫病除けなどの護符(猿形土産、猿ぼぼなど)にも流用されてきました。そして、馬の守り神としても各地で祀られてきたのです。
この信仰は、中国の「馬を守るサル(厩猿)」という思想に由来します。江戸時代には、馬小屋に猿の木像を置くことが広く行われていました。

安産や疫病除けの護符文化
安産祈願の際には、赤い布で作られた猿の人形が贈られることがありました。妊婦のお守りとして、これらの人形は大切に扱われてきたのです。
また、子どもの健康を願って、家の柱や入口に猿の飾りを掛ける習慣も各地で見られました。このような風習は、災いを遠ざけて福を招く猿の力を信じる人々の心を表しています。
つまり、庶民の暮らしにおいても、猿は極めて身近で大切な守護存在だったのです。
災いを遠ざけ、福を招く存在として猿が信仰されてきたように、蛇にも同じような霊的な役割が与えられてきました。日本では干支や庶民信仰の中で、蛇が豊穣や安産をもたらす象徴とされてきた背景については、日本人と蛇信仰に関するこちらの記事で詳しく解説されています。
トリックスターと怪異に登場するニホンザル伝説
「サルカニ合戦」に見る負の側面
しかし、ニホンザルは常に神聖視されてきたわけではありません。伝承の中には、ずる賢さや裏切りといった負の側面で描かれることもあります。
たとえば「サルカニ合戦」では、蟹に仕返しされる愚かな存在としてサルが登場します。このことから、サルは知恵とずるさの両面を象徴している存在でもあるのです。
猿魚(ニンギョウ)と瀬戸内の怪異伝説
また、瀬戸内海沿岸の漁村では、「猿魚(ニンギョウ)」という不思議な怪異が語られています。この伝説では、人魚と猿が結びついたような存在が登場し、漁師たちはそれを見かけると不漁や病を恐れたといいます。
実際に、現地では今もこの話を語り継ぐ年配者が存在しています。こうした海と山をつなぐ物語は、日本の自然観や精霊信仰の深さを物語っているのです。
神話と現代文化に息づくニホンザル伝説
猿田彦命と道祖神の象徴性
また、日本神話に登場する道祖神「猿田彦命(さるたひこのみこと)」も忘れてはなりません。猿に近い姿で描かれるこの神は、道の守り神として尊ばれてきました。
とりわけ、天孫降臨の際には道案内を務めた存在とされ、その姿は鼻が高く、猿のような顔つきをしていたと伝えられています。
このことから、猿という存在が“境界を守る者”や“新しい世界の案内者”としての象徴性を持っていたことがうかがえるのです。

境界を守る存在として知られる猿田彦命のように、異なる動物が融合して神話的な意味を持つ例は他文化にも見られます。たとえば西洋では、ワシとライオンの特徴を併せ持つ存在が、力と守護の象徴として伝説に登場します。こうした異種融合の動物の象徴性について詳しく解説した記事もあります。
温泉に入るニホンザルと現代の共生イメージ
現代においても、ニホンザルは多くの人々の関心を集めています。たとえば、観光地での「お猿のショー」や、温泉に浸かる姿がその一例です。
特に有名なのが、長野県地獄谷野猿公苑です。ここでは雪の中で温泉に入るニホンザルが観察されており、その姿は“自然と共に生きる動物”として世界中で知られるようになりました。
このような光景は、日本の風土や精神性を体現するものとして、メディアでも繰り返し紹介されています。その穏やかな様子は、どこか人間的であり、自然との共生を象徴するイメージとして多くの人々に受け入れられています。
しかし一方で、野生のサルによる農作物被害といった問題も生じています。信仰の対象から害獣としての扱いまで、ニホンザルに対する私たちの認識は時代の流れとともに変化しているのです。
このように、ニホンザルが伝説にたびたび登場する理由は、高い社会性、知能、そして豊かな感情表現を備えた彼らの姿が、私たち人間の姿に重ねやすいからかもしれません。伝説とは、そのような共感や畏怖の心が形になった文化的表現なのです。
まとめ
ニホンザル 伝説は「神の使い」「疫病除け」「騙し者」など様々な顔を持ちます。こうした多様性は、日本社会の自然観・宗教観・道徳観が反映された結果です。伝承を通じて、私たちはサルという生き物に対する尊敬と洞察を深められるでしょう。
参考文献
- 飯田道夫『世界の三猿―その源流をたずねて』(人文書院, 2009年)
- 柳田国男『孤猿随筆』(岩波書店, 1936年)