食料の広がりが生活圏を広げた!ホミニンの食の進化について説明します。

人類の進化 38

こんにちは!そして初めまして!

動物バナシの管理人

理学療法士&

エボルファンクショニスト

ユーイチです。

前回は

アウストラロピテクス・デイレメダ

についてお話をしました。

デイレメダについてはこちら

新種のアウストラロピテクスの発見⁉「近い親戚」デイレメダについて解説します。

その中でデイメレダは

新しい種として認識されている

と話しました。

それと同時に

複数の種とも共存していたことが

分かっています。

デイレメダ以外の種では

同年代にいた事が

確認されているのは、

アフリカ東部・中央部で発見された

アファレンシスバーレルガザリ

プラティオプスです。

アウストラロピテクス種についてはこちら

違う種のヒト属が共存していた証拠!?ケニアントロプス・プラティオプスの化石

アフリカ中央部で見つかった新種の猿人。バーレルザガリの正体

ルーシーで有名なアファレンシス   頭蓋骨と歯の話

そして南アフリカで発見された

ホミニン種とも重なっています。

ではこの複数の種は

いったいどうやって

共存していたのでしょうか?

今回はそこについて

お話ししたいと思います。

それでは早速行ってみましょう (‘◇’)ゞ

他の化石と比較して新種と判断されたデイメレダ

現在ホミニン種の化石において

数多く発見されているものの1つに

アウストラロピテクス・

アファレンシス

があります。

その為、デイレメダ以外にも

バーレルガザリ、プラティオプス

それぞれの化石と直接比較出来ます。

発見した化石を

これらの新しい種に分類した

研究者達はいずれも、

アファレンシスの

化石記録と比較して

同一種内の個体差の範囲に

入るものではないと判断したんです。

しかしこれには

問題がない訳でもありません。

そもそもこの時代に存在した

アファレンシス以外の種同士は

見つかっている化石が少ないので

直接比較するのが難しいんです。

複数のホミニン達はどうやって食料を分け合っていたのか?

370~330万年前のアフリカ東部に

複数の種が存在していた事は

判明しています。

すると今度は、

彼らがどのように住む地位や

食料を分け合っていたのか?

という疑問が湧いてきます。

多くの場合、

彼らの食べ物の嗜好も代替食

異なっていたという事です。

しかも、炭素同位体分析によると

400~350万年前頃には彼らの

食性が大きく変化していました。

この中には

イネ科やカヤツリグサ科といった

C4植物も食べるようになった種が

多かったのです。

食性の違いが生活圏を広げる事になった

この食性の拡大と多様化によって

アファレンシスやプラティオプス等は

今までと異なる環境でも

暮らせるようになったと

考えられています。

その証拠にホミニンが

開けた林やサバンナに進出した時期と

食性の変化の時期は一致します

ですがチャドで見つかった

バーレルガザリだけは

他の種と違ってC4植物だけを

食べていたようです。

ただこれは彼らが

C4植物だけを食べるように進化した

という訳ではありません。

これは湖岸という

きわめて豊かな環境に進出する

チャンスを逃がさなかった結果

だと考えられます。

まとめ

どうでしたか?

今回の話をまとめると、

デイレメダは

アファレンシスと比較した時

同一種内の個体差のの範囲には

入るものではなかった

同時代に共存していた

ホミニン種は食料が異なっていた

ホミニンの食料の変化と

環境の拡大の時期は一致している

それでは今回はここまで。

最後までお読みいただき

ありがとうございました (*’▽’)

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